「わたしのマンスリー日記」第27回 亡き妻・憲子への想い(その2)・・・ それでも生きる!

 前号の続きです。引用文中のゴシック体で表記した箇所は、特に印象に残った文章です。紙数の関係で部分的に省略させていただいていることを申し添えます。

谷川 彰英 先生
 心のこもった「会葬御礼」をいただき、ありがとうございました。妻と共に拝読いたしました。ご伴侶である憲子様への愛にあふれた言葉が胸を打ちました。憲子様は、谷川先生を深く愛していたからこそ、60数年同伴されたと拝察いたします。
 特別列車で旅立った憲子様を特急列車で追いかけて、どこかの駅で再会し、改めて感謝の気持ちを伝えるとのこと、素敵な言葉です。でも、そのお気持ちを、憲子様はすでにわかっていたと思います。
 一つ、谷川先生におわびしなければと思っていたことがあります。それは、昨年の12月14日(土)に明治学院大学でALSに罹患された方々の証言の会においでいただき、憲子様からお話しいただきました。
 あの日、次の会合があり、ご依頼したにもかかわらず、谷川先生・憲子様とゆっくりお話しすることができなかったことです。あの日に、憲子様はひざの状態が良くなくて杖をつかれていましたし、今思えば、疲れていたようにも思えました。けれども、このように急逝するとは思ってもいなかったことでした。
 憲子様のご葬儀は、多くの方がかけつけて、憲子様、谷川先生が慕われているご様子がわかりました。また、憲子様の魂が宿った息子さんやお孫さんがしっかり生きていることに感銘を受けました。
 これから、どういう境遇になるのかわからない、とのことですが、憲子様からもらった愛に報いるために『ALS 生きる勇気の波紋』を書き上げるとのことを聴き、改めて谷川先生の意志の強さに敬服いたしました。
 私なら、へなへなとなって、しばらくは立ち上がれないことでしょう。でも、無理をしないで、時には休んでいただきたいと願っています。
 「会葬御礼」に感謝して
                              小暮修也先生(明治学院前学院長)

 小暮修也先生とは最初の闘病記『ALSを生きる いつでも夢を追いかけていた』(東京書籍、2020年)の図書紹介を書いていただいたことが縁で深い交流が始まりましたので、もう5年になるのですね。当時明治学院学院長という要職にありながら、見ず知らずのALS患者の心の呻(うめ)き・叫びを真正面から受け止めていただきました。
 とりわけ、奥様の奏でるカンテレの曲は「この世にこんな優しい音色が存在したのか」と思うほど、疲れた心を癒してくれました。
 小暮先生には関係の諸学校に私の著書を紹介するなど、ご支援いただきました。山梨英和中学校・高等学校との奇跡とも言うべき命の交流も、小暮先生のお力添えによるものでした。私はその現象を「小暮旋風」と呼んだのですが、先生はそれは「谷川旋風」によるものですよ、とさらり。どこまでも素晴らしい先生です。
 その小暮先生がこの2年ほど、ご自分の年賀状に私のことを書かれたのです。正直びっくり。自分の出す年賀状に人様のこと書くという発想が私にはなかったからです。2025年の年賀状の一部を紹介させていただきます。
「10月には、敬愛する谷川彰英さんからALS(筋萎縮性側索硬化症)に罹患後、9冊目となる書籍『ALS 苦しみの壁を超えて──利他の心で生かされ生かす』(明石書店)が贈られてきました。大変な苦しみを超えて、多くの人びとに生きる勇気を与えている姿は、まさしく『利他の心』によるものと言えるでしょう」
 2024年12月14日に明治学院大学のキャンパスで初めてお会いすることができました。その時は憲子の症状は車椅子での移動を余儀なくされるまでに悪化していました。

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